「物の例えで本当に猿には分からせようとしてない」
と言う答えだと思うのですが、中にはわかる猿もいるかもしれません。
中には本当に猿にもわかる「サルでもわかる○○」があるかもしれません。
でも、わかるぐらい賢い猿は「サルでも」呼ばわりに反感を覚えるかもしれません。
わかった「○○」で反撃されるかもしれません。
今「サルでもわかる」という重みを感じています。
「サルでもわかる」のにです。
そして私自身は「サルでもわかる○○」のほとんどをそんなにわかりたくないです。
猿も、わかりたくないことをわからせられるという苦痛を感じているかもしれません。
この私の葛藤を、猿は理解してくれることはないでしょう。
あと、わかったサルはどうしたのかを追ってほしい も嘘です。