卑下する
他人を卑下する
と言ういい方があります。
1・「卑下する」だと、自分自身を卑しく下がった言い方で表現するというような意味だと思います。「自虐」みたいな意味です。卑下と言う言葉に「私自身」が含まれています。
2・「○○さんを卑下する」だと「○○さんを(見下す側である私が)卑しい気持ちをもって馬鹿にする」というような意味があります。自分を卑しんでいます。
3・または「〇〇さんを卑下する」で「○○さんは卑しいと馬鹿にする」 と言う意味とも取れます。相手を卑しんでいます。
(4・発言する自分、相手どちらも卑しがっている場合があるかもしれません )
2と3は、気持ちを説明しないとどっちの意味か分からないです。
似ているようでだいぶ意味が違います。
1・卑しく下がる (卑しく自分自身を下げる)
2・卑しく(気持ち、雰囲気の自分が)下げる
3・卑しい人間だと下げる
(4・卑しい人間が卑しい気持ちで卑しい相手を卑しく罵る かなり卑屈で卑しい行為)
対象や言いかたで卑下と言う言葉の意味が変わっています。
これが「他人を卑下する」が正しくない理由かもしれませんが、このような使われ方は、もうずっとされていると思います。
(それ以前に、単純に考えると「卑下する」だけで「自分を悪く言う」と言うような意味なので「他人を」を付けても「他人を自分を悪く言う」と言うことになるのでおかしいです。 「他人を自虐する」だと明らかにおかしくなります)
そしてweb辞書などを見ると「他人を卑下する」でもあってるかもしれないと受け取れるような意味のものもあります。
言葉の意味が(本来の意味から違っていても)時代とともに変わっていくのはよくあることで、これでも正しいと開き直られると、私のボキャブラリーと脳と気力ではもう言い返せません。
現在「日和る」「ヒヨる」も「怖気づく」や「怖くなってやろうとした行動をやめる」ような意味で使われていますが、「様子や成り行きを見てから有利な方や、利益がある方につく、行動をする」と言う意味だと思います。
昔の人は、日和山(天候を予測する山)などに行き、天気を見てこれからの行動を決めたんだと思いますが、山に登って(必ず)怖気づいて逃げる(やろうとしたことをやめる)っておかしいです。台風が毎日きたんでしょうか?
怖気づくような意味だと「日和る」前から結果が決まってしまっています。
日和った結果、味方が有利なのでそのまま戦う(天候が良さそうなので当初の目的のまま行動する)という事もあると思います。
その「日和る」前のような精神状態を言っているのかもしれませんが、だったら日和る前の精神状態を言えばいいと思います。
また 「日和見主義」は、例えば2つの勢力で争いが起きた時などに、第3者である自身は争いの様子を見て有利な側に付くというような考えで、ずるく、狡猾に物事を決めるような意味合いです。
行動を決定していない(どっちが有利か見極めている、何もせずにいる)段階なら間違ってはいないと思います。
「やる」「やらない」
「逃げる」「逃げない」
「A側に味方する」「B側に味方する」
というような選択肢を持った状態で、流れを見て自分に有益、有利な方を選択します。
「日和ったが逃げなかった」という状況もあります。
でももう新しい言葉ができたのかもしれません。もしそう宣言されると反論する気力がないです。
日本語は難しい・・・・
脱線しましたが、もう(自分を)卑下するとき以外は「馬鹿にする」「見下す」 とかでいいんじゃないでしょうか・・・ほかにもっと適切な言葉がある中で、わざわざこの言葉を使う意味もあまり感じられないです。
正確に(?)伝えたいなら、「卑しいあなた」へボロカスに言うのか「卑しい私」がボロカスに言うのかと言う説明が必要です。
「卑しいあなた」で使うとけっこう強い意味です。
そして、そこから逆に考えていくと「他人を卑下するのはよくない」と糾弾のように使っているその人自身も、糾弾している相手を「見下している」ような語感になってしまう場合があります。相手がどうあれ「卑しい」はかなり消極的な言葉です。
「他人を卑下するクズ」
「他人を卑下するクソドブネズミ野郎」
悪口を足すと更にわかりやすいです。
批判する側の人(発言者)も「他人を卑下」してしまっています。
これが、時代とともに意味が変わったとしても、消えない違和感の正体ではないでしょうか?
( ※違和感には個人差があります)
人によって受け取る意味が違う言葉を使い続けると、無駄な争いが起こってしまうこともあります。
そもそもで言うと「卑下」しなくてもいいと思います。
って書いて見直したらちょっと上で卑下をしている!!!
↑意図せず恥ずかしい終わり方で、また卑下しそうになりました・・・
脳がバグってきました・・・
※こう書いた以上、もう私は使い(え)ませんが、上に書いた通り、そのような使い方も正しいと考える方を、こっちが正しいと説得したい情熱も力もあんまりないです。どっちでもいいです。