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だからこそ「思いやり」は素晴らしい

 


(※どなたの発言かというのはここでわざわざ書きません※)インターネットで「刺身の船盛」に乗っている葉っぱ、ツマなどの刺身以外の盛り付けも好きなので全部食べたところ、それを下げた店員さんが「見て、全部食べてる」とほかの店員さんに見せて笑っているのが聞こえたという雑談をされているのをみました。(※半分笑い話として)

なかなか信じられないのですが、その仕事をずっとやっていて、その繰り返しに慣れてくると、勝手に出来上がった自分の中の常識から外れた人を馬鹿にするようになるという性分は、もしかしたら私にも多くの人にもあることなのかもしれません。

そんな「痛い人」を作り上げて嘲笑している、小さな世界で出来上がった「常識」を疑うべきではないでしょうか?

その料理を作った方は、一緒になって笑えたのでしょうか?

店どころか自分たちの価値を落とし、勝手な基準を作ってその中で笑いものを作り出しているだけで、面白いところなんて一つもないです。

よく考えるまでもなく、知らない他人(もてなすべき客ではありますが!)がツマやシソ、大葉などを食べたか食べてないかを気にして笑ってるなんて、そっちのほうが「異常」です。

しかもそれが本人に聞こえてたというのが本当によくない…悲しい…

ということをかんがえていました…世の中にはもっと直接的な悪い行いもたくさんあるわけですが、こんな小さな世界の連続で世の中ができていて、私自身も確実に、その中でなにかを見下している不完全な一人であると考えると、なかなかの絶望です。

ですが、言われた側の方が、怒るでもなく、笑い話のように消化できているやさしさの持ち主だったということも、その「笑い話」に怒っていたリスナーの方も、きっと同じことはしないような方たちだと思います。常に希望はある…!

そしてこれはブログをやめる最後に書くようなことなのかなと思いました…これを書いてしまったら自分に言い訳ができなくなってしまいます。

という言い訳をしたので続けます・・・

 チバユウスケさんもこう言ってくれています

※「刺身の船盛」の全部食べるべきかそうではないかのマナー、是非の話(私は当然食べてもいいと思っています)ではなく「仕事に慣れてきて客を笑うまでになった自分」はいったいどんな存在なのかの話をしています。