※例であり、現実に起こったことでも、起きた時に選ぶべき選択肢でもありません。
1.腰かすねを思いっきり蹴る(勧善懲悪ではない)
2.怖いので逃げる、その場から離れる(立ち回り的には正解!)
3.やめてくださいと説得を試みる (勧善懲悪かもしれない)
4.この時のために用意しておいたクラリネットで一緒に興奮して吹き始める※(勧善懲悪ではない)
※注:急にフルパワーでサックスを吹いてくる人が、4で喜ぶような人ではないかもしれないです。(勧善懲悪ではない)
1か2か3で返してくるかもしれません。(勧善懲悪ではない)
受け入れられたとしても、それを聞く無関係の別の人の見方では悪が2倍になります。(勧善懲悪ではない)
以前、勧善懲悪を≪完全懲悪≫という意味だと思っている人がいる?というような投稿をしました。 (※投稿内で、絶句しましたって連呼してますが気にしないでください)
1は悪を懲らしめているのかもしれないですが、善を勧めていないです。 『完全懲悪』ではあるのかもしれません。
2は関わらない立場をとっており、安全ですが根本的解決ではないです。
3は勧善懲悪であると言えるかもしれませんが、反撃される恐れがあります。
『悪をボコボコに滅ぼす』という意味ではない勧善懲悪の使い方の「勧善懲悪では問題、物事は解決しない」ということについて、こういう側面もあるなと思いなおしました。
ですが、勧善懲悪という言葉自体は間違っていないと思います。
この場合サックスを吹く側にこそ勧善懲悪の心が必要で、そのための言葉でもあるのではないのでしょうか。
良かれと思ってやった自己表現が大ごとになってしまうこともあります。
想像力も思いやりも勧善懲悪の心も、たくさんの人が持っていないとそんなに役に立たないです。つまりは地獄です!
(急に最悪な結論を出してくる人)
例:サックスをフルパワーで吹いてくる人 ↓(動画3:00ぐらいから)