やったことにもよりますが、何かを失敗して、許される人と許されない人には、積み上げてきたものでも違いがあるはずです。
「徳」というものは数値のみで測れるものでもないし、その人に感じる徳は、人によっても違いもあると思います。
みえなくても、徳を積んでいて損はないはずです。
誰かを笑顔にしたり、親切にしたり助けたり、心を動かしたりします。
それがなぜかとても難しいことになって、複雑になってきています。
何かを大きく間違えた時も、自分が助かることもあるので、それでも積むべきは徳なんだと思います。
積み上げた徳により、視界が開け、間違えることがなければ一番です。
そして間違えてしまった後でも、誰かを笑顔にしたり、親切にしたり助けたりできるかもしれないです。
※「許されている人」全員に徳があったからと言っているのでも、特定の個人が「許してない」「許されていない」人なのかどうかという話でもないです。個人的には許さなくても、許してもよいと思っています。意思表示するまでもないことに、何かの義務感を背負ってしまわなくてもいいと思います。