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人はなぜ高騰を高沸と書いてしまうのか

  「ウナギが高沸
それなりの長い間ネットをしていてたまに感じるのは、
いつの時代になっても 「高騰」を「高沸」と書いている人をずっと見かけるということなんです。
多分「沸騰」からの連想でそうなっているのだろうと思います。


誰かが既出をガイシュツと読んでしまって一大ムーブメントが起こり使い古されもう何が本当かわからなくなってきて即出と書いている人さえ見かけます。
チャンピオンをチャンピョンと書くのは私もやってしまったことがあります。


書いていて気付いたのですがクラウド変換の影響か高沸で一発変換できました。
vistaを使ってた頃はできなかったのですが、
時代は高沸の流れに逆らえないようです。


意識してしまうのでよくみつけてしまうというのもあるのでしょう
高沸はもう見慣れてきたんですが暴沸はレア度が高く慣れません
ぼうふつ・・・

琴線に触れる」はいい影響を受けたときに使います。(琴線に触れて激怒するというような表現は間違い)
琴の音が不快ではないはずです。
逆鱗に触れる」を怒った時に使います。

御愛顧」を「御愛嬌いただき」と書いていてあるのも見たことがあります。
「閉店のご挨拶」に書いてありました。
開店から閉店するその時まで愛嬌のあるお客さんばっかりだなぁと思い過ごしていたのでしょうか・・・御愛願(または愛玩)のパターンもあります。

 「醍醐味」を「団子味」と書いてあったのも見たことがあります。上には上がいます・・・
 

偉そうなことを言うつもりはないですが、間違っていたという方もこんなことを恥ずかしいと真剣にとらえず、次からしれっと正すぐらいでいいとおもいます。

「暴沸という題の自作の曲をうたっていた」
ぐらいからやっと恥ずかしいレベルなんじゃないでしょうか。